不便益システム研究所

不便益を考える!

日々の不便益

バーミンガムのバスは不便

バーミンガムのバスの不便さといったら…. という話から。

不便益とだたの不便

4月から4年生を4人見ることになったのですが,不便益的システムを実現すべく(十分な予算がなかっただけですが),研究に使うPCを自作,OS(Ubuntu Linux)のインストールを自分でしてもらいました.それなりに,計算機の造詣も深まったようですし,できたPCに愛着をもって接してもらえているような気もしますので,学生にとっての不便益は十分にあったのですが,PCの解る修士や博士が当然研究室にはいないので,全部,質問が私にきてしまい,結果として,私もUbuntuに詳しくなるはめになり,益もあったのですが,私にとってはただの不便の方が近かったです.

不便益的な不便とただの不便との違いは,後者は,システムとして当然機能すべき,サービスを受けるべきであるのにも関わらず,裏切られたときに,「あぁ 本当に不便」と思うことを指すような気がします.一方,前者は文字通り,不便を楽しんでいるかのように思えます.

バーミンガムのバス

ただ,それでも,心の持ち様に依存しない「ただの不便」は存在するとは思って います.たとえば,バーミンガムのバスは

  • 「バス停」にどこのバス停か書いていない.
  • しかも,電柱に本当に小さいバス停のプレートを取り付けているだけで, そこにバス停があることを知らないと,どこがバス停かわからない.
  • さらに,バスは次のバス停がどこかインフォームしない.

つまり,一回下見をしておかないとバスに乗ることはできないシステムになっているのです.もちろん普通は運転手にお願いしておくので,運転手とコミュ ニケーションを取れるという不便益があると解釈することは可能です.ただし, 運転手にはインド系が多いので,ヒンドゥー語のような英語を聞き取れる能力と,昔ながらのスペル・発音を有する地名を相手に言い伝える能力がないとバスの運転手とは会話することができませんが。

あと,バス停で待っていても,手を挙げない限り止まってくれません. ちょっとよそ見をしたせいで,バスが通り過ぎたことが2、3回ありました.

いやいや、これにも見方 (立場)によって益がありますよ。

  • カーナビが発達したおかげで渋滞を避ける「抜け道ルート」が表示されるようになりました.これは利用者にとっては便利に感じる訳です(実際には最短ルートではないので,時間が必ずしも短縮されるとは限らないけど、精神的ストレスは軽減される). でも、裏道を「生活道」として使っていた地元の人たちにとっては,外部からの交通量が増えて不便に感じます.
  • 京都の市バスは案内が整備されていてかなり便利です.ですから観光客も安心して使えるわけですが,シーズンになるとおそろしく渋滞して地元の人にとっては不便なことになっています.

分かりづらいバスのシステムは,利用者を制限すると言う意味では地元の人にとっては便利なのかもしれません(それを意識しているかどうかは別として).この場合は,観光客などが「面倒だから少し高くてもタクシーを使おう」ということになれば,交通手段の棲み分けが(無理矢理こじつければ重層性の保証?)が可能になります.京都の場合は道路自体のキャパシティが不足しているので,いずれにしても不便なことになってしまいますが.

バーミンガムの鉄道は?

ちなみに,電車も向こうの「on time」というのは日本でいうところの「定刻の3分遅れ」まで.一応,駅に次の電車がどれくらい遅れているか表示するシステムがあるのですが,いいかげんで,「on time」と表示されてて,3分ほどまって,あれ電車けぇへんなぁと思ってディスプレイをみたらいつの間にか「5分遅れ」と書いてて,じゃあ,あと2分くらいでくるのねと思ってたら来ず,ディスプレイを見たら「10分遅れ」に変わってて,20分に1本のはずの電車を結局15分くらいまったことはざらにあります.

さらに,電車は止まるところが決まっていないのか,決まっていてもだれも守っていないのか知りませんが,毎回止まる位置が違います.まぁこれくらいは,さすがになんとも思わなくなりました.

向こうにいたときに,尼崎のJR西日本の事故があって,「1分遅れを取り戻すために」や「オーバーラン」によってパニックになっていた運転手に関する報道に,同僚はびっくりというか,なんというか,理解不能な世界を垣間見た表情をしていました.

これも見方 (文化)によって益が違う例ですよね。つまり,時間通りじゃなくてもさほどは不便に感じていない。 この場合の益は「事故回避」でしょうか。