当研究所の所長や広報担当が学生時代に所属していた研究室の先輩である林完爾さんから,研究会に参加しての所感をいただきました.ご本人に了承いただきましたので,転載します.
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不便益システム研究会に参加して感じたこと
林 完爾(岩井研二期生 70年修士)
京機会KMCイノベーション研究会座長
第20回不便益システム研究会に出席させていただき、当時機械系では異色の研究室であった岩井研が、半世紀を経て、新しい学問領域を生み出しつつあることに感銘を覚えました。浅学ながら研究会に参加して感じましたことを箇条書きにして送らせていただきます。今後の研究会で議論していただく材料になれば幸いです。
1. 不便益学あるいは不便益システム学(以下不便益学)の学問領域について
これは研究会の最後に質問させていただいたことですが、不便益の再定義も重要ですが、不便益学が扱う対象、学問研究としての対象の扱い方、不便益の認知法(発見法)、学問領域(隣接領域との関係など)についての解説(定義)も併せて考えられてはいかがでしょうか(すでにそのような解説もされているのかもしれませんが)。
例えば「自動運転技術」を不便益学としては、どのような視点から研究するのかといったことです。車社会の将来を考えた場合、不便益学が立てる軸は、遠距離まで自由に行けることと目的地に速く着けることというこれまでの車の便利性に対して、その対立軸である「遅い」「近い(近距離用)」という不便を益とする交通システムの視点から「自動運転技術」を見る。いわば便利システムの体系を俯瞰することで便利の意味とその対立軸を設定する。「遅い」の益は事故時の損害損失の軽微化という益を生み、「近い(近距離用)」は障碍者や高齢者の地域社会での行動範囲を広げるという益を生むものと思われます(すでに社会的ニーズになっていると思われますが)。この場合、不便益学としてのアプローチは「自動運転技術」だけでなく、市街地の道路の設計法(通常速度帯と低速速度帯)のような車の交通環境のシステムを含めた設計論に展開されるように思われます。
2. マトリックス分類について
不便益の再定義のお話の中にあった「益VS害」、「便利VS不便」のマトリックス図についてですが、便利害は手間がかけられないことによる害というご説明がありました。この図の中では、文明社会が追い求めた便利(益)なシステムが意図せずに生み出した害(あるいは不便)はどこに位置されるのでしょうか?たとえば、車社会が生み出した渋滞や交通事故という便利の代償のような事柄のことです。この便利の追求が生み出した害を不便益学はどのように扱えばよいか、人工物が人類に逆利益を生み出す例は環境汚染なども含めると数多いように思われますが、このような事柄は研究の対象とするのかどうかという問題です。
3. 不便が生み出す機会と意味について
このタイトルは再定義のお話の中にあった「主観的」という言葉が耳に残っていて思いついたことです。不便そのものではありませんが、不便に出会って、それがきっかけで偶然起こる出来事が人生に大きな意味を持つことがあるという事例を不便益学ではどう考えるかという問題です。帰宅中に雨が降り出して雨宿りをしているときに、偶然となり合わせた女性と言葉を交わしたことでお付き合いが始まり、結婚することになったというようなことは、事例としては小説じみた話になりますが、不便の発生によって日々の習慣とは異なる行動を取り、その結果起こることを益にするシステムに関する研究は不便益学の対象にしてもいいような気がします。海外旅行の思い出は有名な観光地を見て回ったということより、ほんの些細な出来事や体験がいつまでも記憶の中に残るということはよくあることです。
以上