日本感性工学会生命ソフトウェア部会のワークショップに講師として呼んでもらった時に出たコメント「合理性追求の悪い側面と関係がありそう」について少し考えてみたことをメモ。
合理的/非合理的,効率的/非効率的,no context/high context,便利/不便がそれぞれ対応するのではないか。一般則をふりかざして「全ては…..」と言ってしまえる便利は合理的に見えて実は globalization を隠れ蓑にした”横着”に過ぎず,世の中の多くは本来文脈依存。しかも low context ならまだ「一般則+少々の例外処理」で対応できるけど,high context な対象はいちいち文脈によって対応を考えるという手間を強いる(一般には不便な)モノであるはず。これに一般則をゴリ押しするラク(便利)が,合理性追求の悪い面ではなかろうか?