近所の小川をきれいなままにキープして気の向く時に泳ぐことと、小川を汚してまでプールを建設し、それで得た労働賃金でプールの入場料を払うこと、水浴びするなら同じことなのにお金を回すためには後者が良い。GDPを上げる事にやっきになってる社会では後者が良いのだろうが、GDPという尺度だけを見るのは、おかしい気がする。
お金を回すだけなら、国家規模ではなくて小さなコミュニティ規模の方が良くないか?顔が見えない消費者のための生産より、繋がりのある人のための生産の方がうれしい。生産の意味もすんなり入ってくる。エコカーを作ることの意味は、近所の人がエコを免罪符にして歩ける距離でも電車を使った方がエコな距離でも、車を乗り回しているのを目のあたりにした方が、わかりやすい。
お金を回さないで良いなら、自給自足・物々交換・地域通貨などの手がある。ただ、物々交換をしようと大量にできた畑のナスビを市場に持って行くと、他の家の畑にも大量にできていて、価値がない。自分だけに作れる物があれば有利。分業制への圧がやはり発生する。