5月17日の雑談「知り合いの視覚障害の方から」 を読んでいて、インクルーシブデザインワークショップを思い出しました。
不便益の一つの側面は、便利追求の時に些細なこととして看過されたものごと の中に、実は重要な事象があり、それをを掘り起こして新たなデザインのカギとすることです。インクルーシブデザインワークショップをその掘り 起こしの一つの実践と位置づけられないか、と目論んでいます。
ワークショップで障害を持つ人に「何か不便なことはありませんか?」と問うても、「さあ」という答えが返ってくるだけだそうです。一旦便利なことを体験するまでは現状が不便だと気づかないだけかも知れませんが、「現状でも工夫次第で対応できることも少なからず」と気づかされました。逆に「よけいな御節介」的道具は、工夫を施すモチベーションを私たちから奪っている ような気がします。
無くても済んでいたものを無くては困るものにする。 これを無条件に「良いこと」と受け入れたくありません。
[計測自動制御学会 第34回 知能システムシンポジウム (‘97,3/15)資料, p.272]
テレビのチャンネルは ダイヤル式からプッシュボタン式に改良され,ほとんど力を加える必要がなくなり,リモコンの上にも配置できるという意味でも便利になり,さらには製造コストも低減し機械部品特有の故障原因もなくなった.このとき,ダイヤル式ならば「ダイヤルの向きとチャンネルが対応していた」という触覚による知覚を許しており,照明がなくとも操作できた,あるいは触覚でわかるまでに使い込んだことの自己肯定感やテレビへの愛着が生じる,などの瑣末なことは無視される.暗闇で操作可能にするならばボタンをLEDで光らせるなどの簡易な対処療法も可能である.しかし,多様なユーザを対象とするために後付け的な対応を重ねることは得策ではない.先のLEDで光らせる案は視覚障害者に とっては無意味であり,さらなる対応を重ねる必要がある.