不便益システム研究所

不便益を考える!

ちょっと聞き耳

効用の分類だけではなく不便の分類

川上
使いにくい理由は?
メニューとして準備されてないことをやろうとすると途方に暮れる。
メニューはたくさん用意してますよ。メニューを知らないだけでは?
いや、メニューが多すぎてもなぁ。
メニューの探し方を知らないだけでは?メニューの提供のし方の背後にあるデザイナの思惑や対象系の構造を知って行くと「習熟の楽しみ」がありますよ。
不特定多数、特定多数(今の携帯電話?)、不特定少数、特定少数(メニューに無いことはできない)、不便の分類の軸として採用できないかなぁ。それぞれのどこに益が潜んでいるでしょうか?
塩瀬

塩瀬です

これはさきほど川上先生としゃべっているとことから出てきた話ですね.このルームでディスカッションしないといけなかったのに,すっかり忘れて危うくリアルワールドでディスカッションしてしまうところでしたね...

さて,事の発端は「やっぱTeXは使いやすけど...」という川上先生の一言から.塩瀬が「本当にWordは,使いにくいのですか?ただ慣れていないだけでは?」という問答からスタートです.

よく「Wordのような専用エディタは,用意されすぎていて自由度がない,自分で決められるからフルスクラッチで書けるほうがよい」と耳にします.htmlと,Webデザインソフトの差異と近い話題ですね.で,塩瀬としてはWordを手足のごとく使いこなせるわけで,TeXにできてWordにできないことはまったくない.というかむしろTeXの方がただ手間がかかるだけで,Word未満の文章しかできないという印象がある.

そう不便の感じ方,にいくつかあるわけです.つまり,構造上本当に手間がかかるのか,ただ不慣れなだけでメニューをすぐ探し当てれないから,一見するとそれを不便と感じているだけで,実はシステムの構造そのものは手間もかからなければ,むしろ効率よく作られているかも知れない.

新奇,不慣れ,に依拠した「使いにくさ」を,システムそのものの「使いにくさ(不便さ」と混同しないようにしなければ,でもしか論から抜け出せない気がしますです.
というぎろんですな.

須藤

こんにちは,須藤です.
まったく裏返しの理論をWindowsユーザから聞くことがあります.

「MacOSは使いづらい」という発言です. 実はあまり使ったことが無い人が多い訳ですが. おっしゃる通り「慣れ」をどう扱うのかは「便利さ」を語るうえで大切な要素になりそうですね.

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