不便益システム研究所

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不便益読み物バックナンバー

不便益私論:試論

不便益の試論:私論を載せているブログがあった。ありがたい。
http://otsubo.info/blog/2012/07/ と http://otsubo.info/blog/2012/07/
私論1、2、3とも、納得。うれしいね。

自転車の不便:練習しないと乗れない不安定さ。
「不安定」だからこそ得られる益:俊敏さ、柔軟さ、効率性(エネルギー的に徒歩の 1/5)。
楽器の不便:相当の熟練が必要。つまり初心者に敷居が高い。
益:自由な操作、表現。
エディタ vi の不便:常に自分がどのモードにいるか意識しないとダメ。
益:テキスト編集速度。

いずれの例にも当てはまるのは、
– それを解消しても副作用が殆んどない不便は、進化過程で解消され
– それを解消すると副作用で本質的なメリットを損なう不便は、解消されない
という二種類の不便があること。

ごんざれふさんと不便益研究所とで見解が異なる所をアラ探しすれば、以下の二点。
便利–不便という(客観視し易い)軸の上に「益」が乗っている。俊敏/柔軟/自由/速度/は、普通に便利と呼ばれる(エネルギー効率は違うかも知れないけど)。「便利Aを得るには便利Bをあきらめなさいってことですか」との問いにハイと答えると、それは「不便の益って便利の一種」になってしまう。研究所は、便利–不便軸と独立な軸(属人的益の軸)を持ち込んで先の問いにイイエと答えようとしてるんだけど、工学的取り扱いが難しくて……
二点目、不便(手間がかかる、認知リソースが割かれるという意味で)ならではの益ではなくて良いのだろうか。練習せずに自転車と同じ俊敏で柔軟で効率的な乗り物が発明されれば、そちらが良いのだろうか。だれでも簡単に同じように自由な操作や表現ができる楽器が発明されたら、そちらが良いのだろうか。それなら「不便の益」ではなく、現状では「しかたなく不便に妥協している」だけのように聞こえる。