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便利ってなんだ?/「便利」の再整理

便利 = 量 (時間) の低減 or 質 (スキル) の変換

“便利とは”をキーワードにウェブを検索すると、最も頻出するのが「省労力」であった。そこで、「便利=省労力」という仮説をたて、様々な「便利」を省労力に帰着させる方向で整理してみる。

労力の質と量: 先の仮説にたてば、まず労力とは何かを考える必要がある。 この時、少なくとも「量」と「質」からのアプローチは有効であろう。

「労力の質」には “要求されるスキル” が対応すると思われる。 純粋に「技能」と呼ばれる体に染み着いたスキルだけではなく、記憶や思考能力というメンタルな労力もあり得る。
「労力の量」について考えてみると、どうも“必要な時間”に代表させて良さそうだ。定量化できる労力としては他にも「移動距離」や「手間」などが考えられるが、これらは時間だけに帰着させる、あるいは「時間と (移動) スキル」に帰着させることができ、時間が本質的であると考えられる。

物流業界では、「4つの便利」すなわち、

  1. 価格の便利
  2. 距離の便利
  3. 時間の便利
  4. 品揃えの便利

が知られている。1 は安いほうが良いという意味であり、ここで「便利」と呼ぶ対象としているものではない。2 は上述のようにスキルと時間に帰着させることができる。3 はまさにここで評価軸に採用するものである。4 は一カ所で買い物が済むという、移動や時間に帰着 し得る便利と解釈できる。

量の低減: 便利だと感じるのには、量的には大きく二つの場合が考えられる。 すなわち、「不可能であること」を「人間国宝的スキルや無限の時間を必要とすること」と言い換えると、無限から有限になる (すなわち不可能が可能になる) 場合と、単純に低減できる場合である。

質の変換: 一方、「金を出せば手に入るのだから便利な世の中になったものだ」という時の “便利” は、単純に上記の量の変化と解釈することはできない。この場合、“低減” ではなく、お金による “代替” と見なせる。また、人手による作業を機械に代替 させる場合も、人にとっては労力の低減ではあるが、よりグローバル に見れば労力を人の外 (機械や資源) に移しているという見方、あるいは機械や燃料を購入するお金に代替させているという見方もできる。

Not 量 (時間) but 質 (スキル) に注目

以下では、上記の二軸 (スキルと時間) に沿って、ウェブで「便利」 をキーワードに検索した事例を分類してみる。

スキルと時間の低減: 鉛筆削り器、自動洗濯機、ホッチキスなどの便利な道具は、多くの場合、ユーザに要求されるスキルだけでなく作業にかかる時間も低減させる。

時間の低減: 携帯電話やコンビニエンスストアは、ユーザに要求されるスキルにはあまり違いはないが、作業時間を低減させる道具や設備である。

アンケートによれば、携帯電話の便利さは、

  1. いつでもどこでも受信
  2. 急な事態に素早く対応
  3. いつでもどこでも発信
  4. 小銭・テレカ不要
  5. メールができる
  6. 安心して外出

と分類されるらしい。2, 6 は 1 に帰着する。4 は携帯を持ち歩く事自体と相殺する。結局本稿で採用した視点からは、携帯電話の便利さは 公衆電話を探しまわる時間を不要にしたことにある。

コンビニエンスストアの便利さは、まさに上記の「物流における4つの 便利」さであり、時間の低減に帰着する。

スキルの低減: 車の自動変速機、レンズつきカメラ、Windows などは、作業時間にはあまり変化はないが、ユーザに要求されるスキルを軽減する。

ここで注目したいのは、価値基準に依存して「便利である」ことが逆行する現象が顕著にみられることである。さらにその価値基準の違いが「設計者が予め予見して作り込んだ選択肢に満足するか否か」という態度の違いから生じていることも興味深い。

オートマは運転に必要なスキルを低減させるが、お仕着せのタイミングではなく自らの好むタイミングで変速するためには、運転者には車の変速に関するメンタルモデルを構築してアクセルワークに習熟するという労力が強いられる。

レンズつきカメラは写真撮影にほとんどスキルを要求しないが、様々なバリエーションの操作によって自らのスキルを反映した作品を作りたい人にとっては、逆に可能な操作が限られていることが不便である。

Windowsはメールや web browseなど予め定められた操作の組み合わせだけで済むタ スクをこなすには便利であるが、もしメニューにないタスクを 実現する必要が生じた場合、途方に暮れることにな る。すなわち、事務的・恒常的作業が無難にこなせることに価値を置く場合にはすこぶる便利であるが、創造的であることに価値をおく場合に はその限りではない。

カチャっとつなぐだけのプラガブルは便利である。 しかし、仕掛けはブラックボックスなので故障が起きた時に手の施し方を考えるのはほぼ不可能である。

スキルの低減と可視性: 以上の例に共通して言えることは、ブラックボックスであっても便利と感じるか、可視性が高いことを便利と感じるかという立場の違いがあり、それは特に「スキル低減という便利」を考える時に大きく影響 するという事である。またこれは、「自動化」に対する視点の違いと いう側面を持つ。

視点の違い

ここまで整理してみると、「便利だ」「不便だ」というのは視点の違いでしかないのではないかという仮説が立つ。 この仮説は、以下に例示の、便利にまつわる様々なコメントが多くの 場合には対比的な構文になっていることも説明づける。

  • 楽 (ラク) が便利か、楽 (たのし) いが便利か
  • 便利さとうざったさ
  • おしつけがましい便利さと、ソッケない自由
  • 便利さは、何かを引き替えにして得るもの
    • 動物として本来備えている能力 (バイキンへの耐性、臭いで腐敗を知るなど) の退化
    • セキュリティと便利さとは相反する
    • 一部の便利さはプライバシーと引き替え
    • 便利さとは、無駄を削る要素/仕掛けであり、面白さを削ることがある
  • なにも考えなくても良い、失敗しない v.s. タスクを楽しくやりがいの あるものにする

ただしこの仮説は、人によって視点が違い、同じ人でも評価する視点が気分によって異なるのならば、ユニバーサルに便利なモノはあり得ないという安直な結論を導くおそれがある。 →もう少し考えてみよう。