不便益システム研究所

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不便益読み物バックナンバー

不便で良かったこと 2012 feb.

人との関わりが増える

不便でよかった体験のひとつめは、ドアチャイムに関する体験である。私の現在住むアパートにはドアチャイムがない。そのため、訪れた人はドアをたたく。これは、隣のひとにも響きやすいであろうし、部屋の奥まで聞こえない可能性もあるから、訪れる側も気をつかう。

しかし、私はこれがとても気に入っている。チャイムを鳴らすときはみな無言でチャイムを押す。しかし、ドアをたたくとき多くの人はドアをたたきながら自分の名前を名乗る。このとき、ドアのたたき方と声の調子で訪問客の目的、気分をなんとなく想像できる。チャイムの音では、押す速度程度の差しかでない。カメラ付きのインターホンであれば、表情も見えるのだからより便利かもしれない。しかし、顔が見えないからこそ、表情を想像することが楽しいのだと考えている。また、たたき方だけで訪問客が分かることもあり、これまでの訪問回数等を考えてうれしくなったりもする。以上より、ドアチャイムがないという不便な環境で、人の関わり方やつながりの確認ができる点が不便益と考える。

次に不便でよかった体験は、トイレに関する体験である。私の所属する研究室からはトイレが少し遠い。4階分移動した場所か、3階分移動して隣の建物に移動した場所のどちらかがもっとも近いトイレの場所である。しかし、この時間がちょうどよいリフレッシュになっていると思う。私は元来歩くことが好きであるし、人間観察も楽しいので、歩きながらすれ違う人を眺めるのが楽しい。1日に数回のトイレからの往復時間で、あの人トイレに行くたびに会うなとか、この研究室はよく声がするなとか、小さな楽しみがいくつかある。特に、忙しい日には少しゆっくり歩いて往復するのがちょうどよいリフレッシュ時間であると感じている。

以上より、私の場合、不便であることで、一方的な場合も含めた人との関わりが増えている点がよいことだと感じている。

年賀状

私は中学受験をしたため,小学校の友達と違う中学に通うことになった.当時は携帯電話やパソコンが普及していなかったため,気軽に連絡を取れる手段がなかった.このため,小学校の頃からやりとりしていた年賀状は毎年欠かさず送り,その返事を楽しみにしていた.お互い携帯電話を購入してから数年は年賀状のやりとりをしたが,電子メールを簡単に送ることができるため次第に年賀状を送らなくなってしまった.電子メールには一括送信という優れた機能があるが,これを使用して送られた年賀状を見ると少し悲しくなる.

こういうことを考えると,不便だった頃もいいことがたくさんあったと思い知らされる.だからといって,昔に戻りたいかといわれるとそうは思わない.情報を大量に送受信できることができるようになったからこそ,「情報の質」というものをもう一度見直してみなければならないのかもしれない.

鉛筆

シャープペンシルではなく,鉛筆を使って勉強をする.すぐ先が丸くなって文字が書きにくくなるが,書いた分だけ鉛筆が短くなるのが目に見えてわかるので,達成感がある.(高校3年の秋からセンターまでずっと鉛筆で受験勉強していた.鉛筆が短くなった分だけ自信がついた)

ラジオのチューニング

最近のラジオチューナーでは自動チューニングとチャンネル登録によりワンタッチで選局するのが当たり前であるが、私の愛用している古いラジオでは手動で周波数をあわせてやる必要がある。周波数調整もデジタルではなくアナログであるため、毎回同じようにチューニングするなんてことはまず不可能である。最終的には周波数メーターそっちのけで、音を頼りに一番しっくり来る周波数に合わせるわけだが、これにはちょっとしたコツがいる。自己満足だが、私には私なりにしっくり来るところ、こだわりとでもいうべきものがある。であるから、他人のチューニングではなんとなく落ち着かなかったりする。

また、自動チューニングでは拾われないような遠くの局からの電波が拾えたりするのも、手動チューニングの醍醐味の一つである。雑音混じりではあるが、驚くほど遠い街の局からの放送が聞けることもしばしばある。

鍋での炊飯

以前、電子炊飯器が壊れてしまったので普通の鍋で米を炊いてみたところ、思いの外早く炊き上がる(25〜30分)上、美味しく炊けて驚いた。鍋炊飯では火の強さ、加熱時間など、電子炊飯器とは異なり水量以外にも色々と工夫の余地があり、あれこれと試して自分ごのみの炊き上がりを模索する楽しみがある。おまけにお焦げが楽しめるという特典もある。

鍋での炊飯が意外に良かったので、私はその後電子炊飯器を購入していない。とはいえ、自炊の頻度がもっと高ければまた違ったかもしれない。やはり電子炊飯器と比較して、鍋での炊飯は手間がかかることは確かである。

音叉

一般的に楽器で演奏をする前には楽器の音程を合わせる必要がある。現在は音程合わせ用のチューナーが広く使われている。楽器から音を出すとチューナーが針でその音の周波数を表示してくれるので、それを頼りに楽器を調整する。音程が視覚的に捉えられるので、初心者にも扱いやすい。

一方昔ながらのやり方として、音叉と呼ばれる二股の金属棒を振動させて440Hz(ピアノだと”ラ”の音、基本音という)を発生させ、これに楽器の音を合わせるように調整するというものがある。こちらは自分の耳を頼りに調整するので少々慣れが必要である。

ところが音叉を使ったやり方では、慣れてくると(基本音限定ではあるが)私のように絶対音感を持たない人間でも、楽器の音を聞いただけで音程の高低がかなりの精度で分かるようになってくる。こうなると手元にチューナーや音叉がないときでも、ある程度自力で音程を合わせることができるようになるので、うっかり道具を忘れた時や、じっくり調音している暇がないときには助かる。ただ残念なのは、音叉での調音を暫くやっていないとすぐに音感が失われてしまうことだ。私の場合、2〜3週間ですっかり使い物にならなくなってしまう。