ワークショップの講師として室蘭に呼んでもらい,翌日は北海道教育大学で研究打ち合わせ。現地の研究メンバと合わせて5人のメンバそろった。よい機会なので,このまま夕張に向かってフィールド調査。暮らしの不便が「お役所仕事をしている場合じゃあない」ことに直面させ,夕張夫妻(負債)=夕張父さん(倒産)+夕張まっ母(真っ赤)さんという自虐キャラを全面に押し出す企画を町中で推進している。このような行政の体質変化を第三者が外から見ただけで「不便のおかげだね」というのはあまりに不遜。実際に夕張を訪れた。
炭鉱に湧いた当時の住民の多くは,外から移って人たち。炭鉱閉鎖で仕事が無くなってもこの地に固執する圧は小さい。11万人以上の人口はいまや1万。私たちが宿泊した施設に,ダムに沈むために離散した大夕張の人たちが集い,旧交を温めていた。たとえ一,二世代でもこの地で生まれれば,やはり故郷。故郷を捨て(金銭的に)豊かな暮らしを夢見て移り住んできた祖先。その夢が破れてもここに残った子孫が,今度は逆に故郷を捨てさせられて土地を買い上げられる皮肉。
(不便と観光)
夕張の不便なところの一つは,交通にある。いわゆる盲腸であり,どこかへの通過点ではない。夕張に来る人は「ついで」ではなく「わざわざ」くる。そこで観光を産業にしようとしたらしい。現在,いくつもの設備の廃墟が点在する。この「訪れにくい」不便に関連して思いつかれることをいくつか。
高速道路が開通してから白川郷の平日客が減少しているらしい。訪れにくさとの関連が大きいと思われる。「行きやすい」からといって「行く」とは限らない。あえて行く所とちょっと寄り道で行ける所ではありがたみが違うのだろうか。そういえば、船にのらねば行けない嵐山の宿では,「行きにくい」が「わざわざ行く」を喚起している。行きにくい不便は、その地の意義や魅力を引き出している。観光地としてはどうだろうか。自分の経験から考えると,すんなり行けた所より引っ掛かりがあった旅の方が想い出として残りやすい。引っ掛かりが記憶を引き出す取っ掛かりになっている。訪れにくい方が、思いがけない出来事に出くわすチャンスが多い。こう考えると、北海道高速も、現地の人々には便利だが逆に観光客を減らさないかが心配になる。目的地に早く到着できる便利は、
○時間的に諦めていた観光地に行けるようになる。
△観光客はワザワザ来ている。早く着けてうれしいのか?
×想い出になりにくい。
ここで話しを夕張に戻す。観光客は夕張でしか体験できないことが嬉しいのであって、ロボットや剥製を見たいのではない。かつて10万人以上居たときのロジックが踏襲されている。観光地に求められるモノと市民のファシリティとは違う。ロボットは後者で、観光のオマケにはなるかも知れないが、それを目的に人が寄り集まるとは思えない。
夕張にしか無いものの一つが炭鉱ミュージアム。本物の坑道跡の雰囲気、地中のトンネルの寒さ、掘削機の騒音がトンネルに響くとどうなるか、容易には想像できない。実体験しなければ分からない。ここは,昭和末期の廃墟と昭和中期の廃墟の同居も面白い。アミューズメントパークを指向した広大な駐車場やフードコートなどが、撤去費用が捻出できずに雨ざらしで廃墟と化している。まずこれらに向かえられた観光客は「やっぱり、ここもか」となめてかかる。ところが入場券を買って昭和中期の廃墟を利用したミュージアムに入ったとたん、うれしい裏切りにあう。謀らずも(謀ったか?)同じ廃墟同士のコントラストがくっきりと浮かび上がる。
まとめると、訪れにくい不便+そこにしか無い(訪れるしかない)→ワザワザ行く。