不便益システム研究所

不便益を考える!

日々の不便益

視能訓練士の不便益

視能訓練士の方から、コメントをもらいました。

面白い!今週、北海道の視能訓練士の学校で教えていて同じようなことを考えていました。

私がこの仕事を始めた1970年代(昭和54年頃)。 朝から晩まで、京都府立医大の眼科外来の廊下みたいなところでもうひとりの検査員と夏休みは300名を越える患者さんの視力を測っていた時期があります。

今のようなコンピューター内蔵の他覚的検査機器(近視や遠視や乱視を検出)はなかったから、いきなり「この人は近視か遠視か」をうたがい、レンズを入れながら、これまたリモコンなんかない時代だから5mの視力表と患者さんとの間を指し棒を持って行ったり来たり。でも、そのうち歩いてくる人、特にこどもの瞼の形状などをみただけで、乱視度数の予測がつくまでになっていました。

他にもマニュアルで職人技のように合わせる角膜曲率半径の測定では、角膜表目の微細な変化も一瞬でわかり、当時に私の視覚注意は随分鍛えられたものだと思います。こうした検査データはそのまんま、頭の中で広げられるのでその後のコンタクトレンズのカーブや度数の選択がとてもスムーズだったと思いますし、何より面白くって夢中でやってました。

今は検査員が画面を見てテレビゲームのようにスイッチオンで全てデータ化されそれに基づいて次ぎなる検査を行うので、検査と実際の眼鏡やコンタクトレンズ処方において気付きがなくなったように思うのです。 眼科検査機器の原理的なことはここ数十年以上何もかわっていません。高価な光学機器を使った一見便利そうな、費用がかかる機器は次々と出ているのですが視力はあいかわらず最小分離域や最小可読域で測っていて、 特にロービジョンの方達の見え難さや見えていることに目を向けた検査は皆無だと思います。

知恵を使わなくなって、人間はこのまま、ばかになっていってしまうのでしょうか?このことはインクルーシブデザインの話とはつながらないようにも思うけど、不便は人に知恵を授けますよね。